ドメーヌ・ド・ニザス
世界のワイン関係者に衝撃を与えた二人の伝説が舞台を南フランスに移し、リーズナブルな高品質ワインを新たに手掛けました。「二人の伝説」とは、ジョン・ゴレとベルナール・ポーテ。通称「1976年パリ事件」(ジャッジメント・オブ・パリ|パリスの審判)に端を発し、10年後に行われた「1986年リターンマッチ」こと第二回米仏銘醸対決を制したワインとは、彼ら二人により生み出されたものです。
それこそが、カリフォルニア州ナパ・ヴァレーのクロ・デュ・ヴァル。
シャトー・ムートン・ロートシルトを始めとするボルドーの代表的銘醸を向こうに回し、「世界第一位」の称号を授かった銘醸蔵の創設者と初代醸造長が満を持して進出した先は、生まれ故郷のフランスでした。
1970年代初頭、米国カリフォルニア州ナパ・ヴァレーにワイン造りの桃源郷を見出し、成功を収めたジョン・ゴレとベルナール・ポーテですが、元来は共にボルドー・ワイン産業のエリート一家に生を受けた人物。ベルナール・ポーテは、ボルドー・メドック格付け第一級筆頭、シャトー・ラフィット・ロートシルトのテクニカルディレクターを父にもち、ジョン・ゴレは、フランスで最も有名なワイン卸商(ネゴシアン)、ジネステ社を興した一族の末裔です。(ゲスティエ家の直系子孫) ボルドー銘醸を知り尽くす二人のフランスワイン関係者が、母国以外で世界最高峰のワイン造りを志し、カリフォルニアワイン(クロ・デュ・ヴァル)をもってして出生地のワインに屈辱を与えるとは、なんとも皮肉な出来事でした。
やがて二人は、生まれ故郷のフランスにも更なる発展の可能性があると信じ、南仏・ラングドック地方をくまなく調査します。傑出したテロワールを幾つかに絞り込み、最終的に現在のぶどう畑が位置するラングドック中心部の小さな村、ニザスのはずれを「その土地」と定め、1998年にドメーヌ・ド・ニザスを興します。このエリアに備わるポテンシャルの高さを確信した二人の目論見は奏功し、今ではラングドック地方有数のハイクオリティ・ワインとして、あまたのコンクールで受賞を繰り返す程の成功を収めました。
土地のテロワールをくまなく表わすことを目的として、ドメーヌ・ド・ニザスにおける全てのワインは、環境保全型農法(Sustainable Agriculture)で育まれた自社畑産ぶどう100%から生産されています。